のしてんてんとは何か、
実はまだ、私自身がよくわかっていません。
言葉の意味は、自分の心を言い表したものですが、結局はその中身を説明することはできないのです。
私とは何なのか、わからないからとりあえずそれを「のしてんてん」名づけたのです。
私は人間だと言えば、では人間とは何なのかという問いが生まれ、私たちは決して言葉では正解にたどり着けません。
だから、わからないこの自分をのしてんてんと呼ぶのです。
のしてんてんは絵を描きます。絵の中で私の心は消えて、絵を呼吸するような感覚になることがあります。普段は、いい絵を描きたいとか、よく思われたいとか、くるくると思いが巡ります。そんな迷いの心が消える一瞬を純粋なのしてんてんと考えるのです。
つまり、私が絵を描くのは、わからないのしてんてんと出会うために、常に純粋なのしてんてんを生み出そうとする作業なのです。
純粋なのしてんてんに出会ったときに感じるのは、自分が宇宙に溶け込んでいくような感覚で、私はそれを至福と呼んでいます。
至福に変わる良きものは何もありません。地位や名誉、富、この世にあるどんな喜ばしいものも、純粋なのしてんてんとは比較できません。
私が信じる思いは、
この、のしてんてんが、すべての人の中にあるのだということです。
そのたくさんの、のしてんてんとつながりたい。
私の作品は、己の中にある純粋なのしてんてんと出会うために描くのですが、それは、たくさんの人々の中にある、のしてんてんとの繋がりを求めるからです。
人は誰でも、自分の中にのしてんてんを持っている。
その、のしてんてんに気付き、至福を感じることができたら、こんな素晴らしいことはない。これが私の信念です。
のしてんてんは、自由そのものでもあります。
その時々に応じて、小説や論文まがいの文章も書きます。稚拙を恐れず、出てくるものはすべてのしてんてんと思って発信します。
ここは、そのような発信の場としていきたいと思います。